日記

カテゴリー(スマホ版は画面下部)で雑記と小説を分けています。

終末の預言者・孫。

どうでもいい上に長い前記事の続き。
無駄に長引くニシンとかぼちゃの包み焼き。

 

あと、些細なことだけど「まぁ、ずぶ濡れじゃない」って台詞もちょっと不思議だなと思ってた。
あれってもしかしてキキに対してだった?
「こんな大雨が降る日に誰にも需要のない料理を運ばされちゃったの!?」っていう、キキへの同情とまではいかなくても宅配員に何させとるんじゃうちのばあちゃん的な嘆きだったのか…?
キャストが声優さんじゃないから台詞があんまり感情的じゃなくて、どうとでも受け取れるのがあの孫娘の凄いところ。
「あの子知ってる。宅急便やってる子よ」も聞く人間の心境で色んな風に聞こえそう。

 

ニシンとかぼちゃの包み焼き事件についてネットで調べたら、年齢と共にいらんものをしょっちゅう送り付けられてイヤになる孫の気持ちも分かるようになったっていう感想とか、荷物を届けた相手が感謝してくれるとは限らないとキキに学ばせる意図があったという宮崎監督のインタビュー記事とかが出てきた。
それはそれで分かるけどスッキリしない。
私が引っかかってるのはあくまで「何で同年代のよそさまの娘には無難なチョコケーキで孫にはニシンのパイなんや?」だった。
チョコケーキか包み焼きのどっちかに統一されてたら引っかからない。
この場合おばあちゃんを擁護するには
・孫は幼少期はニシンとかぼちゃの包み焼きが大好きでよく食べた
・孫は幼少期からニシンとかぼちゃの包み焼きが嫌いだったがおばあちゃんには「美味しい」と優しい嘘をついた
・パイを受け取った母親が「娘が喜んでました~!いつもありがとうございますお義母さん~!」的な社交辞令を伝えていた
辺りが欲しいところ。


もし孫がニシンのパイが嫌いでおばあちゃんにもそれを伝えているんだとしたら、わざわざ薪オーブンを使ってパイを焼いて雨が降りそうな日に宅配頼んで届けさせるとか私怖すぎて夜中に一人でトイレ行けない。
誰にでもチョコケーキが贈られる世界線は勿論優しい世界だし、誰にでもニシンのパイが贈られる世界線もなかなか楽しいと思う。
無差別ニシンテロの世界では、孫娘は受け取りの際にキキに「アンタ後で包み焼き食らうわよ」(※土砂降り配達のお礼に)って終末の預言者みたいなことを言い出すかもしれない。その時点で面白い。
そんで後日おばあちゃんに呼ばれたキキが、先日のお礼にってニシンとかぼちゃの包み焼きを渡されて、今後お誕生日のたびにそれを贈られるんだ。
キキがそれを美味しいと思うかは分かんないけど「おばあちゃんからまたニシンとかぼちゃのパイが届いたのー!!😱」が孫娘とキキの間で理解可能な共通語になるのはいいよね。
誰にでも平等に困ったおばあちゃんがいる世界なら面白くも平和だなって思うんだよ…それか平等にチョコケーキを焼いてくれるのが一番いい。
でも包み焼きがおばあちゃん本人いわく「自慢の料理」で、おそらくキキにあげたチョコケーキより孫に作ってる包み焼きの方が絶対に手間暇はかかるんだよな…手間暇=愛かどうかは個人によって意見が分かれるだろうけど…。
手間暇=愛と考えると孫娘に比重置いてんのに孫的にはニシンのパイが迷惑なの切ないな。
それでも「よそのお嬢さんには万人受けしそうなチョコケーキを贈って評判を上げ、孫娘には自分が作りたいニシンのパイを送りつけて満足を得るホラーおばあちゃん」が回避できて私の心が穏やかになるのでそっちであってほしい。


ここまで書いて堀江貴文氏が「美味しくない料理をさも美味しそうに食べる、みたいな日常の些細な嘘はつかないことにしている。気まずくなりたくないだけで小さな嘘をついて、嘘の上塗りをして、際限なく神経をすり減らして自分が失われていくのは耐えがたい」的なことを書いていたのを思い出した。
つまり孫がホリエモンだったらこんなことにはならなかった。