三連休だの学級閉鎖だのうるせぇ!!!と叫びたいが、女児に言うのも可哀想なので、休日のたびにやってくる女児たちを受け入れる優しいわたくし。自分で言う。だって私、子供好きではないし…正直ウンザリはするんだ。せめて自分で自分を褒めないと。
子供と遊ぶ労働力を外注するためにu-nextもアマプラも完備しておる。
今回選ばれたのは『宇宙よりも遠い場所』でした。
女子高生が南極に行くやつ、最終回を観た7歳児の反応が意外だったので記しておく。
彼女曰く「え?結局しらせちゃんのお母さん見つからなかったの?なのに何でハッピーエンドなの?😨」と。
彼女はうちの親戚お嬢たち(※多い)の中でもかなり頭のいい子なのだが、やはり7年しか生きていない幼子なんだなぁと実感した。
母親が南極で行方不明になった=その娘が南極に行くのは捜索目的である
という揺るぎない大前提が、彼女の中にあったのですね。
母を探して南極まで行ったのに、母には会えず、でも満足そうに日本に戻るしらせちゃん…というのが全く理解出来ない様子だった。ハッピーエンドの空気感についていけずに混乱しとる。
多分死んでいるんだけど、でももしかしたら帰ってくるかもしれないという期待を持ちながら何年も生きるのがどんだけしんどいか。
区切りをつけることが出来ない限り、否応なく精神的なリソースを割いて、待機電力みたいに余計なエネルギーを持っていかれて、そんな足枷を付けられたまま人生が続いていく苦痛…割り切ることが出来るきっかけを求めてやまない気持ち…というのは、十年単位でこれを経験しないとあんまりピンと来ないのかもしれない。
一応、この辺を分かりやすい言葉で説明してはみたが、お嬢の
母親が南極で行方不明になった=その娘が南極に行くのは捜索目的である
という図式は1ミリもブレんかった。天晴だぜ。
ラストに100万円を南極に置いてきたのも謎だったらしく「今度また来るからいいんだよ」と言ってもやはりピンと来ないようだった。
長いスパンで物事を見るには生きた年数がまだ足りない。
本来、私とお嬢はかなり感性が似ているのだが、生きた年数によって物事への構え方が違ってくるのは仕方がないことで、別に子供と大人のどっちが良いとかではなく、ここは明確に『違う』んだなと。
世代間ギャップではなく、単に生きている年数の差によって生まれる感覚の違いというのは大変興味深くて面白かったのです。
…でも今週末くらいは私を一人にしてくれたら、それはとっても嬉しいなって^^