日記

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女児と観る『よりもい』2

女児のことはさておいて、私も『よりもい』で印象に残ったシーンはあったのでメモ。

 

①めぐっちゃん北極に行く。

キマリが帰国報告すると同時に、北極なら俺の隣で寝てるよ宣言。良かった。これでもうめぐっちゃんはキマリにイライラしなくて済むし、帰ってきたらちゃんと友達できるね。いにしえの根性論は嫌いだけど、この手のイライラには努力不足が含まれているのは否めない。でも、努力をしたいのに、力を向ける先すら見つからなかったらもどかしいまんまだもんな。北極があって本当に良かった。別に嫌な子だとは思わないよめぐっちゃん。正しく自己嫌悪してるし。成長過程成長過程。

 

②ああいう奴らはモヤモヤを抱えないと知らないしらせちゃん。

日向を学校で孤立させておいて、日向が南極に行くとなると、自慢したいからって友達面して気軽に謝罪メールしてきて許しの言葉を聞こうとする陸上部の奴ら~。しらせちゃんが「人を傷つけたんだからモヤモヤ抱えて生き続けるのが罰だ!」ってカメラに向かって啖呵切るの、多分いいシーンなんだろうけど。こういう奴らは『絶対に自分は悪くない』を前提に動いているし、自分たちは悪くないってことにするためなら事実もウサワも何でも捻じ曲げちゃうから、多分しらせちゃんが言うような心の動きにはならないんだよ。でもしらせちゃんは真っ直ぐな子だから、そんな人間がいるなんて咄嗟に思いもしないだろう。だからあんなクズには効かないヘボ攻撃を全力で繰り出してしまう。しらせちゃんの言葉は、一瞬だけ陸上部の子たちをイラつかせて、でもすぐに捻じ曲げられて捨てられる。真っ直ぐな人間の言葉はクズにダメージを与えることは出来ない。でも同じく真っ直ぐないい子である日向には届いただろう。だから私としては全然スッキリしないしカタルシスも得られなかったけど、それだけでいいのよね。あれはしらせちゃんが日向を救った言葉と態度だった。何よりしらせちゃん渾身の言葉が陸上部の子たちにダメージを与えない=しらせちゃんはクズと同じ土俵に立つことすら出来ないってことだ。実は素晴らしいことなのだ。

 

③友人誓約書。

小学生の時、やたらお揃いのものを持ちたがる子がいた。それと似ているのかな。離れていても繋がっているって証拠が欲しい。日本は若者・青春を重要視するけど『クラス』という概念が死んでからの方が明らかに人生は面白い。うちの父上とか典型的な昔は良かった系で、そりゃ主体性なく受け身で生きてりゃ責任が伴う大人なるほど人生楽しくなくなって当然だろ…とは言えない。打たれ弱い人を責めるのはどうも。ただ、父のアレは何かいい感じにノスタルジー装飾してるけど単に人生設計のミスってだけの話だから、もし私が父の立場だったら恥ずかしくてそんなこと年下相手に言えない。常に今が一番幸せであるよう努めるのは大人の義務なのだ。

そういや銀河鉄道999で観た酒場の弱々しいオッサンたちと、メーテル母はうちの両親にそっくりだ。ウチの親はよく例にあげられがちなのの男女逆verなんよな。モラハラDV妻と、怯えて言いなりになる夫。ハラスメント被害は女だと同情されるのに男だと情けないって軽んじられるのは理不尽ではある。君臨したい女はいるし、弱虫な男もいる。人間だもの。

 

④母のPCで4桁の未読メールを受信するしらせちゃん。

母が行方不明になって以降も欠かさず送り続けていたメールは一通も読まれていなかった。何なら受信すら出来ていなかった。遺体が見つからなくても強烈な『死にました』の洗礼。向き合って泣いて叫んで受け入れた。やっと始められるね。悲しいけど良かったねっていう不思議な感覚になった。ドアの向こうで声を殺して泣いてる友達たちがまた良い。

 

実はほんのちょっとだけ、野生に適応してサバイバル生活してるしらせママと氷上で再会出来ないかなって…「よぉ元気だったか娘!焼きペンギンの手羽先食うか!?」的なママの登場を0.5%ほどは期待してたけど無かったね。そういうテーマじゃないからね。