話の中は現在9月です。
英智はおそらく7月頃からアパルトマンに出入りしてる。
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巴里にて(宗)
「斎宮くんって薄情だよね」
「毎回こうして君に食事と寝床を提供している人間によくそんなことが言えるね」
僕が用意した夕食を当然のように食べながら、天祥院が肉を刺したフォークを振りかざした。
行儀が悪いことこの上ない。
「渡仏のことだよ。何も四月に行かなくても良かったんじゃない?」
三月の卒業式の後、僕は光の速さで引っ越しの準備を整えて、四月になると同時にパリに飛んだ。
同じく現在海外を拠点に活動している同級生たちは夏まで日本にいたので、僕だけが異様なスピードで海外に行ったことになる。
「こちらの大学は秋開始とはいえ、それまで日本にいたら時間が勿体ないだろう。せっかく欧州に出て見聞を広げるチャンスなのだから」
「影片くんに引き留められなかった?」
「いや…」
待ちに待ったピストル音にクラウチングスタートを切ったランナーのような勢いでパリに向かう僕を、影片は止めなかった。
彼は僕が在学中から一日でも早く渡仏出来るよう準備を進めていたことを知っている。
「僕も影片はもう少し寂しがると思っていたのだけどね。やりたいことを前に落ち着くのは僕には無理だから仕方ないそうだよ」
「ぷっ…さすが、よく分かってるね」
天祥院は複雑そうな顔で僕を眺めて笑った。
「…それで刑期が明けた囚人よろしく、さっさと出て言っちゃった訳か」
「嫌な例えをしないでくれたまえ」
「あながち外れてもいないだろう?僕は生徒会長だったから、自分の代の学院生活を黒歴史みたいに思われるのはちょっとね」
「ふん、自分の評価に傷をつけられた気でもするのかね」
「そうじゃなくて、責任を感じてるって話」
意外なことを言われて面食らったが、すぐに頭を振った。
鬼龍がいてくれた小学校時代にも、さして楽しい記憶はない。
同じ年頃の人間を狭い部屋に詰め込んでいる時点で駄目なのだ。
それは天祥院のせいではない。
「君に思うところは山ほどあるけれど、その点に関しては責任を感じてもらわなくていいし、同情も必要ないのだよ」
「…同情とかじゃなくて」
天祥院はふいとそっぽを向いた。
その横顔がシンプルに寂しそうに見えたのは、僕の見間違いかもしれない。
「とにかく、早めに引っ越したお陰で入学式を終えた今の段階でおたおたしなくていいのだよ。大学内で迷うこともないし、勝手も分かるから」
「そうか、入学式って先週だっけ?大学進学おめでとう…って今更だね。もう通っていたんだし」
新入生としての授業はこれからだが、バカンス期間に入るまでは大学が一般向けに開放している講座に通っていた。
芸術品が多くあるパリらしく、美術史や絵画や彫像などの文化財の保存や修復の基礎について学んだ。
まだ言語が完璧とは言い難いため予習を兼ねて申し込んだ講座はためになった。
これを取っ掛かりに、入学後の授業ではさらに理解を深められるだろう。
「ああ、今から講義が楽しみだよ。それにしても、君が素直に祝いの言葉を言うなんて意外だね」
「そう?斎宮くんこそ、僕にこんなに親切にしてくれるなんて変わったね。いつも怒っていたくせに」
「君が腹の立つことばかりするから怒らざるを得なかったのだろう」
「いいや、ただ僕がいるってだけで怒っていたよ」
「そんなことはない。君の嫌がらせが先だ」
「違う、斎宮くんが怒るのが先だった」
しばらく不毛な言い合いをした後、天祥院はホットコーヒーを口にして、湯気を立てるカップの中に視線を落として小さく笑った。
「…少なくとも、日本ではこの距離に僕がいたら怒っていたよ。卒業したら帰ってきて欲しいなって思っていたけど…水が合う場所にいるのは大事なことなんだろうね」
確かに、週末にやって来る天祥院を一目見るなりアパルトマンから叩き出していないのは、パリに引っ越したことで僕に精神的な余裕が出来たことも関係あるかもしれない。
天祥院も学生気分が抜けて落ち着いたのか僕に子供みたいな悪戯をしてこなくなったので、特に怒る理由が見当たらない。
天祥院の干渉から距離を置けるという意味でもパリ行きは都合が良かったのだが、こうして打ちひしがれた様子を見せられると何やら気まずかった。
「そもそも君はどうしてここに来るのかね。プライベートジェットがあるといっても大変だろう」
「どうしてって…」
天祥院は呆れた顔をした後で、何故か不機嫌そうに早口で言った。
「ほら、休日くらい誰も僕を追って来られないところに行きたいんだよ。斎宮くんはそういう気持ち、分かってくれるよね?」
「それは…まぁね」
彼も忙殺されるとそんな心境になることがあるのか。
「意外だね、構われたがりな君が静かに過ごしたいなんて」
「僕が来るの、迷惑かな。そりゃあ斎宮くんは影片くんが来た方が嬉しいだろうけど」
まだこちらが何も言わないうちから捻くれたことを口走る彼に、僕はおかしくなった。
貴重な土日を潰すなと言えるほど、今は忙しい時期ではない。
最近だけ見たら彼の方が余程多忙だろう。
「別にいいのだよ。僕は子供の頃から隠れ家を探すのが好きだったけれど、誰かに隠れ家を提供する側になるのは初めてだから、新しい楽しみ方をさせてもらうよ」
僕の返事を聞いた天祥院は「斎宮くんらしい理屈だね」と言って笑った。
(続)