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巴里にて(宗)
アパルトマンにある唯一の空き部屋は天祥院の寝室と化している。
僕が朝食の準備をしていると、やや遅れて彼がキッチンに顔を出した。
「おはよう」
「おはよう。家主よりも長く寝ているなんて毎度毎度いい度胸だね」
「だって時差があるから眠いし、誰かに作ってもらった朝食を食べるのがいいんだよ」
確かに、彼は自分で作ったりしなさそうだ。
僕だって下手に彼に食事の準備を手伝わせて余計な仕事を増やされたくはない。
「先に座って食べていてくれたまえ。後はパンだけだから」
お気に入りのパン屋のクロワッサンが品切れで買えなかったから、今朝はシンプルなバゲットだ。
フライパンを取り出した僕を見て天祥院が首を傾げた。
「フライパンで焼くの?」
「ああ」
多めのバターを熱する音を聞きつけて、彼が傍にやって来た。
スライスしたバゲットを置くと、じゅわじゅわと音がする。
「わぁ」
天祥院はその様を物珍しそうに見守っている。
両面をじっくり焼き上げて、トングでバゲットの一つを取って彼に渡した。
「熱いから気を付けて」
彼はちょっと間を置いてから指先でパンをつまみ、息を吹きかけて齧りついた。
ざくっ、という音がして、中に染みたバターがじわりと滲んで輝くのが見えた。
「えっ、何これ。凄く美味しい」
そう言った彼がさらに大きくもう一口、バゲットを食べた。
がりっ、という硬さと厚みのある音が小気味良い。
「フライパンで焼いたらこんな風になるんだ、知らなかったな」
「焼くというより揚げる感じだね。この食感はバターを惜しむと出せないのだよ」
もう彼は返事すらせず無心でバゲットを平らげて、最後にぺろりと自分の指を舐めた。
「ああ美味しかった。ちょっと感動したよ」
「大袈裟だね。君はクロワッサンよりもこちらの方が好みだったかな」
僕が贔屓にしているパン屋のクロワッサンはトースターで炙るだけで美味しくなるが、バゲットをあれと同程度まで美味しくするにはひと手間かかる。
「うん、凄く気に入った。これだけで飛行機代以上の価値があるよ」
オーバーなことを言う彼に、僕は前から薄々気になっていたことを尋ねてみた。
「君のプライベートジェットでここと日本を往復するには幾らくらいかかるのかね」
「え?人件費と燃料費で七桁に届くくらいかな」
天祥院はフライパンから自分の皿にバゲットを二つも取って椅子に座り、一人でさっさと朝食を食べ始めた。
僕は彼に隠れてフライパンに残された一切れを口に運び、首を傾げる。
(…確かに美味しいけれど)
自己陶酔型の僕ですら、自分が焼いたこのバゲットに百万円以上の価格がある気はしなかった。
(続)