パリの宗英ちゃんの続きです。今回は1話で完結しています。
二人でホットチョコレートを作ってモジモジするだけのラブラブ話です。
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ホットショコラ(宗)
冬の寒さが少しだけ和らいだ三月の朝。
インターホンが鳴って玄関の扉を開くと、春物のアウターに身を包んだ天祥院が立っていた。
「いらっしゃい、天祥院」
「おはよう。入ってもいいかな?」
「どうぞ。初めて見るコートだね、よく似合っているのだよ」
「ありがとう。もっと見ていいよ?今日のために用意したんだから」
彼は改めて僕の前で姿勢を正して「後ろはこんな感じ」と言って背中を見せた。
パリの青空と街並みを背景に、おろしたてのコートを披露してくれる恋人の姿を楽しんでいると、目が合った天祥院に「見すぎ」と笑われた。
+ + +
「実はこれなんだけど」
部屋に入った天祥院が、旅行鞄から取り出した何枚ものタブレットチョコレートを僕に見せた。
どれもベルギーの高級メーカーのものだ。
「チョコがどうかしたのかね」
「うちでホットショコラを作ってみたら失敗しちゃって」
「…どうやったら失敗するのか逆に知りたいのだけど」
「鍋が焦げた」
彼のことだから最高品質のチョコを使ったのだろうに、勿体ない話だ。
刻みもせずに板チョコをぶち込んだのか攪拌しなかったのか。
「要するに、うちに材料を持ち込んで僕にショコラを作らせようという魂胆なのだね?」
「うん。向いてないことを自分でやるより上手な人に任せる方がいいもの」
天祥院はこのアパルトマンを「美味しいものが食べられてたくさん眠れる空間」だと認識している節がある。
恋人に会いに来ているというより、お気に入りのホテルで息抜きをする感覚なのではないだろうか。
「…仕方ない。これ以上高級食材が焦がされるのは忍びないからね」
「まぁまぁ、僕も手伝うからさ」
「君が?」
彼が自分から手伝いを申し出るのは珍しい。
僕は天祥院を連れてキッチンに場を移した。
「君は手を洗ってからタブレットの包装を破ってくれるかね。それくらいは出来るだろう」
「うん」
作業をする天祥院の隣に立って、熱したステンレスの手鍋にピュアココアパウダーを入れる。
「ココアも使うんだ?」
「煎ったココアパウダーを入れると香りが良くなるのだよ」
「へぇ…やっぱり斎宮くんにお願いして正解だったな」
コクのあるカカオの香りが立ちのぼったところで鍋にミルクを加えた。
「天祥院、場所をかわってくれるかね。チョコを刻むから」
「やってみてもいい?面白そう」
「硬いから気を付けるのだよ」
彼はパキパキとタブレットを手で割った後、意外と上手にそれを包丁で刻んだ。
そしてまな板ごと手に取って、細かくなったチョコを鍋に流し込む。
「これでいい?」
「上手じゃないか。鍋を焦がしたなんて言うからどんな腕前なのかと思ったけれど」
僕はほろ苦さが活きる程度の砂糖を加えてから沸騰前に火を止めて、ホットショコラを二つのマグカップに分けた。
+ + +
「ホットショコラ作りって楽しいね」
僕と並んでソファに座った天祥院が上機嫌でショコラに口を付けた。
「…美味しい」
「当然なのだよ、僕が作ったのだから…いや、君も半分くらい作業したか。意外ときちんと包丁が使えていて驚いたのだよ」
「調理実習とか、学校であったじゃないか」
「君が料理上手だった印象はないけどね」
天祥院のグループのフライパンからは人体に有害そうな黒煙が上がって、瀬名や羽風が激しくむせていた記憶がある。
僕は僕で守沢や三毛縞がろくなことをしなくて難儀したが、こちらには蓮巳がいたのでどうにかなった。
(いや、思い出すのはよそう。余計に帰国する気が失せる…)
たまには顔を出すよう実家からも言われているのだが、気乗りしないまま一年近くが過ぎている。
言葉で不便なことはあるし、海外暮らしならではの悩みにぶつかることもあるが、不思議と里心はつかず、そのことに安堵すらしている。
ホームシックの孤独よりも、長年焦がれ続けたパリが想像ほど魅力的な地ではなくがっかりすることの方が怖かったから。
「ごちそうさま。もうなくなっちゃった」
天祥院が残念そうに空になったマグカップをテーブルに置いた。
「ショコラくらいいつでも作れるのだよ」
「ふふ、ありがとう」
彼はそう言って、僕の肩に頭を預けた。
ぬるくなって甘味が増したホットショコラを口に含んで、ふと思い出した。
(…ああ、バレンタインだったのか)
僕がクリスマスと同じくらい唾棄すべき商業主義の権化だと公言して憚らない日本のバレンタイン。
当日はとっくに過ぎて、もう三月に入ってしまっているが。
僕はそれなりに悪くない手つきで包丁を使っていた恋人の姿を思い出して、改めてマグカップの中のホットショコラを眺めた。
(…こんな回りくどいことをしなくてもいいのに)
調理実習があった頃の彼は包丁の扱いが下手だった筈なのに、今日のために練習したのだろうか。
この分だと「鍋を焦がした」という話も疑わしい。
僕のアパルトマンにチョコレートを持ち込むための口実が必要だったのだろう。
(面倒な方法を取らせてしまったのは僕か。昔から、こういうイベントなんて下らないと言い続けてきたからね…)
消費主義が作り上げた行事に踊らされる気はないが、恋人が喜んでくれるなら行事そのものを否定はしないのに。
「おい」
「どうしたの?」
「…ええと」
キスをしたいと思った時、一度相手に聞くべきなのか、それとも許可をとらずにしていいのか。
天祥院は僕の様子をじっと見た後に、ぷっと噴き出した。
「可愛い」
「それは褒めていないよね」
拗ねた僕に、天祥院は身を寄せてしがみついた。
「…斎宮くんの好きな時に、好きなようにしてくれていいから」
聞きようによってはとんでもない言葉をさらりと口にされて、僕は静かに動揺した。
(今のは、キスのことなのだよね…?)
ぴったりくっついた恋人と二人きりの部屋という好条件から必死に意識を逸らす僕を笑うように、部屋にはショコラの甘い残り香が漂っていた。
(続?)