ただの平和な初デート回です。特に何も起きない。
同時進行でパイロット英宗の番外編も少しずつ書いてます。
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巴里にて(宗)
冷え込みの強い二月。
普段と変わらずアパルトマンを訪れた天祥院は、窓から冷たい雨の降る空を眺めていた。
今までは外出もせず僕の部屋で過ごして、外を気にかけることはなかったのに。
「どうしたのかね?」
僕が声を掛けると、天祥院が振り返った。
「ああ、天気が悪くて残念だなって」
「行きたい場所でもあったのかね」
「うん、パッサージュに行ってみたかったんだ。でも、今日はちょっとね」
彼は窓の外と僕を交互に眺めて言葉を濁した。
雨の土曜日。
ガラス屋根に守られたアーケード街であるパッサージュはそれなりに人が多いだろう。
だけど多忙な天祥院が平日に時間を作ってパリに来るのは難しい。
ずっと部屋で大人しくていた彼が初めて行きたいと言った場所だし、たまには外に出るのも悪くない。
「いいよ、君が行きたいなら付き合おう」
「えっ」
天祥院が目を丸くして僕に詰め寄った。
「本当にいいの?きっと人が多いよ」
「観光シーズンではないから鮨詰めというほどでもないだろう」
「足場が悪いから服が汚れるし」
「雨の日に大学に行くのと同じじゃないか」
「でも…」
「パッサージュは好きだよ。屋根もあるから冬の観光にはお誂え向きだし」
彼がしたいのがパリ観光ではなく初めてのデートだということくらい僕にも分かる。
行こう、と誘うと天祥院は嬉しそうに頷いた。
+ + +
パッサージュは十九世紀の面影が残る、僕のお気に入りの観光地だ。
土日は人が多いから来たことがなかったけれど、今日は寒いせいかそこまで混んでいない。
ガラス天井の下を二人で歩いていると、天祥院が腕を組んで歩く年上のカップルを目で追った。
何やら羨ましそうな眼差しを見て、僕はあらかじめ断りを入れた。
「ああいう真似はしないよ」
それを聞いた彼はつまらなさそうに唇を尖らせた。
「日本じゃないんだから、僕たちが腕を組んでいても騒ぎにはならないと思うけど」
そういう問題じゃない。
「外でべたべたするのは性に合わないのだよ」
「…けち」
英智はそう言ってそっぽを向いて、立ち並ぶ店に目をやった。
「パリ観光はしたことがあると言っていたよね?パッサージュも珍しくないだろう?」
「いや、パッサージュは初めてだよ。本当は去年初めて斎宮くんのアパルトマンにお邪魔した日に行くつもりだったんだ。どうせ門前払いされるだろうし、その後に行こうかなって」
「なるほど。まさか部屋に招き入れられるとは思っていなくて、予定が狂ってしまったのだね?」
「ふふっ、そうそう」
彼は楽しそうに笑いながら言葉を続けた。
「それからは斎宮くんと一緒に行くのもいいなって…恋人は無理でも、もし友達になれたら二人で行きたいなって思ってたんだ」
「…」
僕は天祥院と、氷のように冷たい雨に打たれるガラス天井を交互に眺めて小さく溜息をついた。
彼は面倒臭いけれど可愛い。
僕に己の主義を曲げさせるくらいに。
乱暴に彼の手をとって自分の腕に絡めさせると、天祥院は目を丸くした。
「どうしたの?急に」
「今日はそこまで人が多くないから」
天祥院が僕につかまる腕に力を込めて身を寄せた。
「…斎宮くんって甘いよね」
「君に言われるとチョロいと馬鹿にされている気がするよ」
「酷いな。僕のことそんな風に思ってるんだ?」
天祥院は怒ったようにフンと顔をそむけたが、腕はしっかりと組んだままなので本気ではなさそうだ。
「入りたい店があったら言うのだよ」
さらに奥には最近開店したスイーツショップ。
パッサージュの店はバリエーションが豊富だ。
天祥院はきらびやかなディスプレイを眺めながら歩き、時折足を止めることはあっても、店に入ろうとは言わなかった。
「お気に召す店が見当たらないかね?」
「ううん。もうしばらく歩きたいだけ」
通路の端まで歩ききった彼が僕と腕を組んだままくるりと方向転換した。
…まさか彼が満足するまでぐるぐると歩き続けさせられるのだろうか。
回遊魚みたいに。
パッサージュの通路を周回するだけで帰るなんて想像するだに切ない。
「…君の気が済んだらサロン・ド・テに入りたいのだけど」
たまに入るサロン・ド・テ自慢のピュアティーとフルーツタルトはきっと彼の好みにも合う筈だ。
恋人と穏やかなティータイムを過ごしたい。
それ以前に、座って喉を潤したい。
僕の顔色からそれを察したらしい彼が目を細めた。
「いいよ、もう少し歩いてからね」
上機嫌で一歩踏み出した天祥院に付き合って、僕は雨のパッサージュを数往復歩かされた。
(続?)