日記

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【英宗】天国の森(アンソロサンプル)

あらすじ:元恋人の英宗です。体調を崩した宗を英智が自分の別荘にかくまって二人で過ごす話。

天国の森

一(宗)
 英智と僕を乗せた車が森の中を走っていく。僕は木々の隙間から届く断続的な日差しの眩しさに俯き、後部座席のシートの上を流れていく光をぼんやりと眺めていた。
「当分はマスコミに追われる心配は要らないよ。斎宮くんはしばらく海外にいることになっているから」
 礼を言うのが筋なのだろうが、感謝するように仕向けられているようで気が重い。意気消沈する僕に、英智は溜まりに溜まった数年分の愚痴を聞かせた。
「僕が用意した場所で大人しくしていれば良かったのに」
 僕はくたくたに疲れていたけれど、彼の言葉を笑う余力はあった。
「……神様気取りだね」
「まさか。僕はそんなにいいものじゃないって、斎宮くんが誰よりもよく知っているだろう」
 車が天祥院家の別荘に到着したのは僕の家を出発してから三時間ほど経ってから。自動で開いた車のドアから外に出ようとしたものの、ふらつきを覚えて目元を押さえた。反対側から下車した英智が傍に来て両手を広げたが、僕は手のひらを彼に向けてそれを拒んだ。吐き気のせいで頭を振ることは出来そうになかった。
「君の手は借りないのだよ」
「つれないな。付き合っていた仲じゃないか」
「昔の話を蒸し返さないでくれたまえ」
「意地を張るのは元気になってからにしてくれる?」
「……」
「車酔いもあるのかな。ほら、動かないで」
 結局、僕は彼の手を借りるしかなかった。久しぶりの体温に懐かしさを覚えかけた自分を戒める。同い年の男に抱き上げられて、その胸に頭を預けるしかない我が身を見下ろすと、不意にさっきの英智の言葉が蘇った。
 ……大人しくしていれば良かったのだろうか?
 彼から仕事を貰い、彼の手垢のついた金を受け取り、彼の望むアイドルになれば良かったのだろうか。
 建物は森の奥で静かに僕を迎えてくれた。周囲に薔薇が植えられているのは英智の趣味だろうか。陽光を受けた花は背伸びをするように大きく花弁を広げていた。

 

二(英智
 僕の家が管理する別荘やホテルの中でも、ここは特に他人を寄せ付けない場所にある。華やかさに欠けるため客を迎えるには不向きだが、落ち着いて過ごすには丁度いい。利便性を考えれば南国のリゾートホテルを丸ごと借り切るのも手だったけれど、ホテルスタッフがいる以上二人きりとはいかない。その点、この別荘は私有地のど真ん中にあり、僕は半径数キロから僕と斎宮くん以外の人間を完全に締め出すことが出来る方を選んだのだった。
 リビングで休んでから二階の客室に案内された斎宮くんは、この状況で笑みを隠さない僕を睨んだ。
「人が体調不良だというのに随分と楽しそうだね」
「ああ、ごめんね? 顔に出ていたかな」
 別荘に斎宮くんを迎えた僕は浮かれていた。大半の夢ノ咲卒業生は現在も僕と繋がっているけれど、斎宮くんは僕経由で仕事を得るのを嫌がって離れていった。仕事とプライべート両方の意味で。斎宮くんは僕の後ろ盾のない環境で何年も活躍していたが、先日彼の個人事務所のスタッフが不祥事を起こしたことで連日マスコミに追いかけられ、あっけなく体調を崩した。仕事とは無関係の不祥事で雇い主の斎宮くんが嗅ぎ回られるのは完全なとばっちりだったが、マスコミはその辺を弁えない。静けさを求めてうなされていた時に渉から「誰も追ってこないおすすめの避難先がある」という連絡を受け、期待に胸を躍らせた彼が運び込まれた先がここだ。迎えのために斎宮家の前に停まった天祥院家の車と後部座席に座る僕を見た時の斎宮くんの絶望顔は正直笑えた。
(そこは感激して喜んで欲しいよね。わざわざ休暇を取って護衛をしてあげようっていうのに)
 僕の休暇の皺寄せは主に渉と敬人のところにいく。二人とも遠慮がないからそれなりの対価を要求される覚悟で休みをとったのに、当の斎宮くんに嫌がられるなんて報われない話だ。僕の胸中など知らない彼はフンと鼻を鳴らした。
「人の不幸を喜ぶなんて実に君らしいのだよ」
「そうだね、こんなことでもないと斎宮くんとお泊まりなんて実現しそうにないし」
 楽しいよ、と素直に打ち明けると、斎宮くんは処置なしとばかりに溜め息をついた。
「滞在中はこの部屋を好きに使っていいからね。荷物の整理が終わったら下においで。お昼を用意しておくから」
「君がかね?」
 斎宮くんがサッと青ざめた。どんなゲテモノが出されると思っているんだろう。
「簡単なものなら作れるよ。レトルトだけど我慢してね。居候なんだから」
 僕はそう宣言して一階にあるキッチンに向かった。野菜や肉などの食材は用意してあるものの料理には自信がないので、無難に戸棚にあったレトルトカレーを手に取った。温めるだけでいいらしい。便利な代物だ。僕がパウチを手に電子レンジの扉を開いたのと同時に、斎宮くんがキッチンに駆け込んできた。
「ノンッ! 君は一体それをどうする気なのかね!」
「え? 温めたらいいんだろう?」
 彼は何も言わずに僕の手からパウチを奪った。
「……もういいのだよ、昼食は僕が作る」
「遠慮しないで。静養に来ているんだから休んでいていいんだよ」
「いや、君に借りを作りたくないから僕に出来ることはやらせてもらおう。そもそも弱っている人間に刺激物を出そうなんてよく思いつくね」
「ふぅん、斎宮くんは具合が悪いと食欲もなくなるんだ」
「君と他人の胃袋を同列に扱うのはやめておくのだね」
 斎宮くんは慣れた手つきでサラダとスープを作ってくれた。僕たちはパセリ入りバターを塗ったバゲットの匂いに包まれながらダイニングルームで昼食を食べた。彼はスープを口に運びつつ僕に視線を寄越す。
「ところで、君は仕事はいいのかね」
斎宮くんがここにいる間は僕も休みだよ」
「……でも、忙しいのだろう?」
 実際のところ、スケジュールを空けるのはきつかった。特に敬人は今頃忙殺されているだろうから後が怖い。
「いいんだ、僕に出来ることなんてこれくらいしかないし、僕もこうして休暇を楽しんでいるから」
 用意してもらった美味しい手料理を手で示すと、彼は困ったように僕から目を逸らした。

 空が橙色に染まる夕方、リビングのソファで寛いでいると歌声が聞こえてきた。きっと斎宮くんの部屋からだ。
(静養中も発声練習か、真面目だなぁ)
 よく通る声が耳に心地良い。念入りに音階練習を繰り返す声に聞き惚れるのと同時に胸を焼かれた。体調不良によるブランクもあるだろうにこの技巧だ。僕は己の心境を映したような夕陽に目をやった。
別れを告げられた時に嫌だと言ったらどうなっていただろう、とたまに考えかけては思考に蓋をしていた。僕の身に余る才能を持つ恋人に追い縋るなんて想像するのも憂鬱だ。僕が弄り回さない方が美しく咲くだろうと思う一方で、手放した彼が誰かのものになるかもしれない未来を恐れた。それでも生来のプライドの高さは僕に涼しい顔で彼を見送らせて、別れ際に醜態を晒さずに済んだことだけが慰めとなった。当時みっともない別れ方をしていたら、いかな斎宮くんの不調を耳にしても、元恋人の気まぐれを装って介入する勇気は持てなかっただろう。
 斎宮くんの手料理を食べて、彼の歌声に包まれる暮らしは理想的だった。彼に指摘されたように僕は神様気取りでこの世の全てから斎宮くんを取り上げて己のテリトリーに担ぎ込んだのだから、今だけはこんな夢の世界に溺れていられる。所詮は偽物の神様だから、僕がしつらえたかりそめの天国は消える運命にあるけれど。