英智には本命がいるから不必要に触らんとこって気遣ってる割に、英智から「して♡」って言われたらさほど遠慮しない斎宮さんと、おぱんつをよごした英智さん。
四(英智)
卒業式を終えて人生最後の春休み。
二人暮らしもそれなりに慣れた。
同じ空間で生活はしているけれど、お互いに踏み込みすぎないよう。
でも食事の好みや消灯時間など個人差が大きいことは話し合う。
家庭というよりルームシェアみたいな感じだ。
「英智、ちょっと予定を聞きたいのだけど」
朝食の後で斎宮くんがスケジュール帳を開いて僕を呼んだ。
「うん、なに?」
「ヒートは四月上旬だっけ。前後の予定を空けないといけないから」
「…!うん」
「嬉しそうだね」
「そりゃあね。発情期の時はずっと病院で過ごしてたから、こうやって僕に合わせて予定を空けてくれる人がいるのって嬉しいよ」
ヒートの記憶と孤独感は切り離せない。
世界から一人だけ隔絶されて、時の流れからも取り残されたような。
病院の個室で終わらない苦痛と強制的な睡眠だけが延々と繰り返される一週間。
無意識に暴れているのか気が付けば拘束帯でベッドに縛り付けられているのが常で、それが余計に恐怖心を煽った。
もう二度とあんな経験をしなくて済む。
「でも君は平気なのかね。僕に、その…」
言い淀む彼が何を言いたいのかは分かった。
「抱かれること?…それも凄く嬉しいよ。好きだって言ったじゃないか」
「…」
斎宮くんは一瞬明らかに憐れみの目を僕に向けて「オメガは大変だね」と呟いて顔をそむけた。
(本当なんだけどな)
今までのことを考えれば信じてもらえないのも無理はない。
「斎宮くんこそ、僕が相手で平気?まだ怒ってるんじゃないの」
僕は折に触れ彼の感情を波立たせることばかりしていたので、優しくされると落ち着かない。
「君が何かにつけ僕を動揺させようとしていたことをかね?方向性はともかく努力は褒めてあげるよ。頑張ったね」
個人的に気になっていた部分を雑に対応されて微妙な気分になった。
「…そんな反応されたら立つ瀬がないんだけど」
「結構じゃないか。何かと顔色を伺ってこられると、ただでさえ君に摩耗させられた僕の神経が余計にすり減るのだよ」
「…」
黙り込んだ僕を見て斎宮くんが笑った。
「まぁ、僕もこれを君本人に言える日が来るとは思っていなかったがね」
「…斎宮くんってそんな風に割り切れる人だっけ?」
「散々君を恨んだからこそ、事実に色を付けて徒に己を消耗させるのはやめようと思ったのだよ。僕は半年ほど具合を悪くしたけれど今は障りがない。それで充分だから」
「…そう」
「とにかく、君が僕の作業部屋に勝手に入りでもしない限りは、いちいち目くじらを立てる気はないよ」
「だからちゃんとノックしたってば!」
居間に置きっぱなしのスマホが鳴っていたから持って行ったらこっぴどく怒られた件は僕も根に持っている。
一番奥にある部屋が彼のアトリエで、彼はその小さな根城を神聖視している。
+ + +
眠る時は和室で、布団はちょっと離してある。
電気を消しても障子越しに外の光が入って、斎宮くんの姿が見えた。
(…寝ちゃったのかな)
入籍は正式に『番』になってからすることにしたけど、こうして同じ部屋で寝ているんだし、斎宮くんの好きにしてくれていいと僕は思っている。
でも斎宮くんは性的なことは最低限しかしないつもりだろうし。
(季節に一度、僕に付き合ってくれるだけ…なんだろうなぁ)
大事にされていると思う。
でも他人行儀な気もする。
(大人っぽくなったと言えば聞こえはいいけど、要は義務的っていうか…ずっと怒っててくれて良かったのに)
斎宮くんが僕に過剰反応して嫌われていると確認出来るたびにホッとしていた。
一方的に思いを寄せるのは気楽だ。
どうせ好かれやしないという前提で恋をするのはラクだった。
つまり僕は斎宮くんとまともにコミュニケーションをとる気がなかった。
(…糸を切られたみたいだ)
もっと僕の手に負える人だったのに。
「…英智?眠れないのかね」
寝返りを繰り返していると斎宮くんに声を掛けられた。
「うん、ちょっと」
(…甘えてもいいのかな)
今までも方向性こそ違えど甘えっぱなしではあったけど。
「…そっちに行っていい?」
「いいよ。余計寝苦しくなりそうな気がするがね」
招き入れられた布団は僕のより冷えていた。
斎宮くんの体温が僕より低いせいだ。
「カイロみたいに熱いね、君は」
「平熱が高いと健康にいいから色々してるんだ。凛月くんには健康オタクって言われるけど」
冗談めかしてそう言って、もうすぐ『番』になってくれる相手に身を寄せた。
五(宗)
「ただいま」
「おかえり。今日も遅かったのだね」
「年度初めだし色々あるんだよ」
僕は影片が卒業するまで芸能活動は休止して、依頼がたまったオーダーメイドの衣装を作るのに忙しい。
英智は卒業後も夢ノ咲のユニットを統括する形で事務所を経営しながら芸能活動も継続している。
(一度お山の大将をやると立場が惜しくものなのかね。他人に偉そうな顔をするのも疲れると思うのだけど)
支配するのもされるのも等しく束縛だと感じる僕には分からない。
英智も僕を引きこもって黙々と針仕事をしている根暗と思っているだろうからお互い様だが。
(まぁ、プライベートでは違う顔も見せてくれるようだけど…)
僕はごつい肩書きを背負った英智としか対峙したことがなかった。
生徒会長とかユニットリーダーとか部長とか。
そういうのがない時の彼は割と素直な表情をするのだと知った。
(…庭の整備は急いだ方がいいかな)
荷解きをした日、庭を弄りたそうにしていたし。
でもその前に大事な予定が控えている。
来週は二人とも丸一週間仕事は休みだ。
カレンダーに目をやった僕に気付いた英智が傍に来て言った。
「ねぇ、もうすぐだね」
「そうだね」
「あのさ…変なこと聞くけど、練習しておかなくて大丈夫?僕、こういう経験ないし…斎宮くんも浮いた話って聞かなったし…」
珍しくモジモジして何を言い出すかと思えば。
僕は彼の提案を鼻で笑った。
「確かに経験はないけど『番』についての知識はあるし、僕が発情期の匂いで理性を失うなんてあり得ないのだよ」
「あんまり自惚れない方がいいと思うけどなぁ。僕だってこんなのイヤだって思っても時期になったら発情したし、根性論でどうにもならないのはアルファも同じなんじゃないかな」
そういった仕組みが自分に埋め込まれているとはとても感じられない。
セクシャルな面に関しては一分の隙もなく潔白だと自負している。
「他人はそうでも、この僕は違うのだよ」
「ぶっ…!」
自信満々の台詞を笑われてムッとした。
「馬鹿にしているのかね」
「ううん、そうじゃなくて」
くすくす笑いながら、英智が僕を見て目を細める。
「僕の知ってる斎宮くんだなぁって」
「はぁ?」
「何でもないよ。ね…練習しないならキスだけでもしていい?」
僕は英智の提案に困惑した。
「…キスなんてしなくても『番』にはなれるだろう」
しなくていいことはしないつもりだ。
英智が奥底に隠している気持ちを踏みにじることはしたくない。
「今はそんなこと言ってても、いざヒートを迎えたら何が何だか分からないうちにキスくらいしそうじゃないか」
「だから僕に限ってそんなことは」
「お願い。僕もどうなるか分からないし。覚えてないうちにファーストキスが終わってるのってイヤだから…」
しばらく見つめ合って、根負けしたのは僕だった。
(どうしてわざわざ僕と…)
相手が誰であれ記念のキスは把握しておきたいのだろうか?
やはり僕と彼は感性が違う。
する以上はおざなりには出来ないから、英智の背中を抱いてこちらに寄せると、彼は大人しく目を閉じた。
(…仕掛ける側の人間はどのタイミングで目を閉じたらいいのだろうね)
僕だって初めてのキスだから、ソツのない振る舞いが分からない。
唇が触れ合ったのを見届けてから目を閉じると、英智が僕の背に腕を回して、キスの体裁が整った。
「……ん…」
それで済ませるつもりが、英智が薄く唇を開いたせいで事情が変わった。
ぺろ、と僕の唇を舐める舌先の熱に怯むと、英智が小さく「だめ」と言って唇に甘く嚙みついた。
ファーストキスと呼ぶには強欲なそれに引きずり込まれて舌で彼の口内に触れると蠱惑的な匂いの片鱗を感じて、無意識に彼を抱く腕に力を込める。
「…!?ふ…っ、ぅん…!んんッ、ふぅぅ…ぅ…」
何故か誘ってきた側の英智の膝がガクガクと震えているのを感じながら、離れがたい彼の口の中を味わった。
「んっ、んむっ……ふぁ…んぅぅ――…!」
抱き合った英智が弾けるように痙攣して、くたりと僕にもたれた。
「…は……、ほら、これで満足したかね」
キスを終えて尋ねても、英智の反応は薄い。
「不思議と悪い気はしなかったのだよ。引かれ合うバースのせいかな…英智?」
赤くなった英智が服の裾を引っ張ってもじもじしている。
「どうしたのかね」
「僕、ちょっとトイレ…」
「ノンッ!君からキスがしたいと言い出したくせに、少しは雰囲気を考えたまえ」
「っ…仕方ないじゃないか、よごれちゃったんだから…!」
英智はそう言ってぎこちない足取りで僕から離れていき、唐突に取り残された僕は彼の気まぐれに呆れた。
(続)