マドモアゼルと英智って気が合いそう。
三(宗)
夢ノ咲を卒業したらパリの大学に進学しようと思っていた。
僕の愛しいマドモアゼルが天祥院と意気投合してしまう高三の夏までは。
天祥院は日本を出る気はないようだった。
追い出す側の人間は楽で羨ましい。
とにかくマドモアゼルは時折ふらりと手芸部の部室を訪れる天祥院とスリリングな話に花を咲かせては喜んで、僕を大いに悩ませた。
僕はマドモアゼルを爆破したり教室の窓から落とそうとする天祥院から彼女を守ろうと躍起になっているのに、マドモアゼルはそれを花火大会やバンジージャンプの誘いだと言って聞かないのだ。
可愛いマドモアゼルが洗脳でもされたんじゃないかと思った僕は苛立ちのあまり「君は耳が老朽化してしまったのかね」と言ってしまい、彼女を「女の子を年寄り扱いするなんて!」と激怒させ向こう数日口をきいてもらえなくなったり(彼女は僕を介して喋るのでそれもおかしな話だが)と胃が痛い思いをしてきた。
彼女と喧嘩中の夜。
拗ねてだんまりを決め込んでしまったマドモアゼルをショーケースに戻した時、彼女はいきなり僕に話し掛けた。
『ねぇ宗くん、怒らないで聞いてくれる?あたしって英智くんと似ていると思うの』
「やっと口をきいてくれたと思ったら……お願いだからそんなおぞましいことを言わないでくれたまえ。君を今までのように愛せなくなってしまいそうなのだよ」
『だって、英智くんもあたしも身体がガタガタなの。特にあたしなんてお婆ちゃんだもの』
先日、耳が老朽化していると言ったことに対する皮肉だろうか。
「マドモアゼル、君が気を悪くするようなことを言ったのは謝るのだよ。だからもう」
『ねぇ聞いてちょうだい。あたしはいつまでお喋りできるか分からないもの』
最近口数が減っていたマドモアゼルの言葉は僕にとって効果的な脅しだった。
僕は黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
と言っても喋っているのは僕だけど。
『あたしは人に心配されずに色んなことがやってみたいのよ。英智くんもそうでしょう? だからあたしはあの子が嫌いじゃないわ。あたしのことをスリリングな遊びに誘ってくれる遠慮知らずな人は彼だけだもの』
「……君が危険な男に惹かれる女性だとは知らなかったのだよ。僕が君の心配をするのが気に入らないのだね?」
『あらあら、英智くんを立てたからって宗くんを下げた訳じゃないのよ。宗くんって本当にそういうところが面倒くさいのよね』
「……」
口で女性に勝とうとした僕が間違っていた。
それきりマドモアゼルはまた沈黙の時期を迎えてしまい、たまに部室に遊びに来た天祥院はテーブルに置かれた彼女の前に着席して「今日は喋ってくれないんだね」と物足りなさそうにしていた。
天祥院とマドモアゼルが親しくなるのは僕にとってちっとも望ましいことではなかったけれど、たまに英智くんゲージとやらが尽きて実家だか病院だかに回収されていく彼を見るたびに、自分と彼は似ていると語ったマドモアゼルの姿を思い出した。
秋になるといよいよマドモアゼルはただの人形に近くなり、僕はやはり進学先はパリがいいと思い直し始めていた。
元々僕はマドモアゼルと天祥院が親しくなることを歓迎していなかったし、奴から離れて自由になりたいという気持ちが強かったから。
教室で配られた進路希望調査にパリの大学の名前を書いて明日には提出しようと鞄に仕舞い、眠る前に何の気なしにショーケースに入っていたマドモアゼルを腕に抱いた、その途端。
『―――英智くんに会えなくなるわよ?』
まさか話すとは思っていなかったからびっくりした。
「……マドモアゼル?」
僕が呼びかけてもアンティークドールは返事をしない。
たまに彼女が喋るたび、嬉しさと同時に、これが今生の別れになるのではないかと肝が冷えた。
最後の話題が天祥院だなんてあんまりだ。
「マドモアゼル? 何か喋ってくれないかね……愛しい人」
人形相手の独り言は虚しく消えた。
結局、僕は大学入試を受けるのを遅らせることにした。
先延ばしにするのは性に合わないけれど、何となく決意が鈍ってしまったせいだ。
青葉はマドモアゼルのお喋りは僕の隠された本心だと主張し、影片はマド姉はほんとにマド姉やと言って聞かない。
僕自身はよく分からないというのが正直なところだった。
パリ行きを見送ったのはマドモアゼルの意志を尊重したとも言えるし、あり得ないとは思うけれどもしかしたらという可能性のためでもある。
マドモアゼルの正体を彼女に直接聞いてみようとは思わない。
彼女の言葉の真偽を判定する方法がないから。
真実の解明よりもただ彼女に会いたい。
マドモアゼルが喋らないまま二年が過ぎた。
+ + +
「……さん……お師さーん?」
後輩の手に揺さぶられて、僕は目を覚ました。
昼食後のレッスンルーム。
二人で次のステージの演出を考えていた真っ最中。
影片がトイレに立っている間に、ついうとうとして眠ってしまった。
「……すまなかった。みっともないところを見せてしまったね」
「ううん。疲れてるのに起こして悪いなって思ったんやけど、時間が押しとるから」
影片が不思議そうに僕を見つめた。
「何や楽しそうやったね。ええ夢やったん?」
果たしてあれは楽しい夢だったのだろうか。
「マドモアゼルが喋ってくれる夢を見ていたのだよ」
それだけ言うと影片は感慨深そうに目を細めて「予知夢やったらええのになぁ」と呟いた。
彼は僕よりもよほど強くマドモアゼルの存在を確信している。
(続?)