日記

カテゴリー(スマホ版は画面下部)で雑記と小説を分けています。

二律背反の偉人。

ずっと悪い人だと思っててすみませんでした。

honto.jp

クリミア戦争前後を生きたナイチンゲール女史と違い、この方は1997年まで存命だったので、私は伝記に触れるより、マザー死後に発覚した不正や闇のニュースを耳にすることが多くてですね。

↓45億溜め込み・政治的癒着・人身売買などなど。

ja.wikipedia.org

 

へー実は悪い人なんだー世の中って怖いなーくらいの認識だった。

でもカトリック教会という大きな組織とマザー個人の力関係を思うと、もしかして彼女は早い段階で大組織の闇に飲まれた操り人形だったのかもしれない。

「神様」と「信仰心」と「宗教団体」は全部別物だから。

マザーは「神様」を「信仰」していたけど「宗教団体」と無縁で活動は出来ない。

 

死にゆく人への曖昧で同意のない強制洗礼・不衛生な環境・治療していないという告発、でも自分が病気になったらアメリカで麻酔を使って最新の治療…。

 

これらがマザーの積極的な意志なら、まぁ悪い人なんだろうけど。

最初に載せた書籍には、マザーが懺悔のため神父たちに書いた手紙も乗ってて、それに書かれた(おそらく)本音と、マザーが対外的に発信した名言が、乖離しているようで実は単なる裏表。

真っ赤な嘘となじられるべきではない…身を裂かれるような痛々しさがあった。

マザーの本音と建前の両方を読むと、善人でも悪人でもない、どこにでもいる「自分の人生を自分の意志で決定することが出来なかった弱い人間」がいて、ああ人間なんだなぁと思った。

ちょっと書いとく。一部略してます。

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【懺悔の手紙】

私には信仰がありません。私の心に次々と湧いてくる考え、苦悩を口にすることはできません。打ち明けるのが怖いのです。それが神を冒涜することであると思うと…。

私のために祈ってください。私の心が氷のように冷たいのです。私を支えていた信仰は、実際には私にとって、闇を生み出すだけなのです。

彼等(*同じ奉仕に携わるシスターたちや世間)は、私の心の中には神への信仰と愛が充満し、神のご意志との結びつきが心を駆り立てているに違いないと思っています。彼らは、私が表面上の明るさという仮面によって、どれほどの虚しさと苦悩を覆い隠しているのかを知りません。

人々は、私の信仰を見て、神のもとへ引き寄せられると言います。これは人々を偽っていることにならないでしょうか? 私は本当のことを言いたいのです。“私には信仰はありません”と伝えたいのです。しかし、その言葉を口にすることはできません。

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マザー大丈夫…?と心配になる文面。

でも世間で目にするマザーテレサの名言といえば

・愛されるよりも愛しなさい。

・神様は私たちを愛しています。

・自分のことでいっぱいだと、人のことを考えられなくなってしまいます。

ときた🤔

 

事情を知らないと、マザーがこれらの名言を有言実行出来ている前提で聞いてしまうが、これらはマザーにとって実現不可能な理想だったんだと思う。多分。

 

赤十字社が宣伝にナイチンゲールの名前を拝借したように、マザーテレサカトリック教会にとって良き広告塔だったんじゃないか?

世間がイメージする「聖女マザーテレサ」と実際のマザーの乖離はどんどん進んで、もう彼女一人で抱えきれるようなもんじゃなかったのかもしれない。

実はマザーが生きている時から、彼女に対する告発は多数あったので、良く言えば彼女が「善人」ではないことを理解してくれていた人もいた訳だが、多分ここまで病んでしまった人間には第三者の言葉は届かない。

それにきっと「本音を理解されたいが、非難されるのは怖い」という人間あるある心理も働いたと思う。

 

マザーが痛みを緩和するケアを行わず、手を握って声をかけ続けることを「愛」と呼んだこと、末期の患者に明確な確認をせず洗礼を行って改宗させたこと…。

 

これだけ見れば、一方的な善意の押し付けであり、傲慢であり、悪行なんだろうけど。

まさにマザーの残した言葉「自分のことばかり考えていると他人のことを思いやれない」というやつで、溺れるマザーは自分のことで精一杯だったんだろう。

懺悔の手紙の内容は一貫している。

「私は」不幸だ。「私は」見捨てられた。「私は」恐ろしい…私私私私…。

マザーは苦痛をも美徳とするから、相手の痛みは取らない。

マザーはキリスト教だから、相手をキリスト教に改宗させるのは良いこと。

相手の立場で考える想像力と、精神的余裕の欠如。これに尽きるんじゃないかと。

だって私だったら、重病で苦痛を感じてたら手を握って話しかけられえるよりモルヒネ注射して欲しいって思うもん…!!!!

 

でも私がマザーを嫌いにならないのは、マザーがひたすら「神」への「信仰心」は失ってなかったから。

懺悔では「私にはもう信仰心はない」って言ってるけど、本当にそうなら神(※懺悔を受け取る神父)に宛てた懺悔の手紙なんて書かないし。

口座に45億円溜め込んでても、彼女は人目があるから豪遊なんて出来なかったし、元々医学的な衛生や緩和ケアにはさほど興味がなさそうだから、本来は一番使うべきそこにお金を使わなかった結果大量に余っちゃって持て余していたのかもしれないし…???

意地悪な見方をすれば、彼女のイメージを保持するには「痛みに苦しみながら死んでいく人」が必要だった。清潔な施設で鎮痛剤を使って安静にしている患者の手をとったって絵にならんという。

既に神に愛されていないのに、周囲からも幻滅される。

きっと、それこそマザーが無意識に恐れ続けた最悪の結末だった。

彼女は敬虔なシスターだったからこそ信仰心の無さを嘆くことは出来た。

でも人に愛され必要とされたいと渇望する自分を認める勇気と、事実を打ち明けて世間から見捨てられた後も自分を愛する勇気は不足気味だったのね。多分。

根は凄く真面目で、理想が高くて、そこに至れない自分に苦しんで、余裕がなくなって、弱い立場の人に自分が思う「善」を押し付けまくる結果になったのかな…「善」で殴るみたいな…。

「神」を「信仰」しているけれど「宗教団体」との持ちつ持たれつの旨味も捨てられないし、本音を言って皆に非難されるのも怖い。

影響力が大きくなってしまっただけの、臆病な普通の人だ。

でも神に対する一途さは(本人にとっては)本心だったんだろうし、そのお陰で懺悔の時だけは本音を書けたし、今こうして私たちが彼女の本音の一端を知ることもできる。

色んな角度から見たつもりでも、所詮は本の中だけだから全てを知ることは出来ない。

でも私の中でマザーテレサが「善人」でも「悪人」でもなくなったのは良いことだ。

でも告発内容が本当なら、汚物を拭いたタオルと食器を一緒に洗うのは良くないと思いましたマザー。