日記

カテゴリー(スマホ版は画面下部)で雑記と小説を分けています。

【英宗】エリスの屋敷

ヴァルの新曲MVを見て、お蔵入りしていた話を仕上げました。

プランツドールパロの英宗verです。

9500文字くらい。

全て影片視点。

地雷要素が複数あります。

三角関係はないです。

注意書きがネタバレになるのでブログでは伏せます。

何でも平気な方向け。

「続きを読む」からどうぞ。

 

 

一人ぽつんと外に座ってばかりいたのは人と会いたくないからじゃない。

そうしていれば、いつか俺を間違えて地球に落っことした誰かがおれを見つけてくれるんじゃないかと思っていた。

「探していたよ」「間違えてごめんね」と、いたわりと共に故郷の星に連れ帰られるのを待っていた。

それが叶わないなら、せめて身近にいる皆と同じことで笑って、同じことで泣く能力が欲しかった。

それが出来るようになればこんな居心地の悪さは消えて、おれは地球の人々から仲間として迎え入れられるに違いない。

優秀な人になるよりも目立たない人になりたかった。

おれにとって『普通』は準惑星エリスよりも遠い。


エリスの屋敷(影片)


その仕事はあまりにも報酬が良かった。

世界的に名の知れた天祥院のお屋敷に住み込みで三ヶ月、若い当主が所有するプランツドールのお世話をするだけで当面はお金の心配をしなくて済む。

住み込みの間は自分の携帯電話は没収され天祥院家から支給されたスマホを使うという条件はあったが、元々密にやるとりをする友人も親族もいないから問題はない。

世話係の採用面接は奇妙かつシンプルなものだった。

屋敷に赴き客室に通されたおれは、数年前に当主になったばかりの天祥院英智と彼の傍で豪奢な椅子に腰かけたプランツドールと対面した。

少年の姿をしたプランツは小さな帽子を被せられ、艶のあるリボンを施した西洋風の衣装を着ていた。

深緑を基調にした服とピンク色の髪を見て、おれはつい「桜餅みたいや」と言いかけてやめた。

空気が読めない自覚があるのは不幸中の幸いで、口にさえ出さなければ誰も不快にはならない。

おれと目が合った途端、プランツは笑いこそしなかったが、地獄で仏に会ったようなホッとした表情を見せた。

プランツドールは相性が良い人間には極上の笑顔を見せるという触れ込みからすると芳しい反応には思えなかったが、当主の男はそれでOKを出した。

「ああ良かった。やっぱり君に声を掛けて正解だったよ」

「えっと…採用ってことでええんですか?」

「勿論。今日からはこの客室で好きに過ごしていいよ。短時間なら一人での外出も自由だ。プランツの遊び相手とミルクの用意は忘れずによろしくね。足りないものがあれば気軽に言ってくれて構わないから」

「はぁ」

金持ちの好事家の考えることはよく分からない。

自分で丹精込めて世話をしてこそのプランツドールではないんだろうか。

「この子の名前は宗だよ。仲良くしてあげてね」

「んぁ…」

仲良くと言われても、目の前にいるプランツはフレンドリーな性格には見えない。

(まぁ犬や猫にだって持って生まれた性格があるんやもん。お人形さんにも個性があって当然……あれ?)

こんなに人懐っこくなさそうなプランツのお世話係なんて探すのも大変だろうに、何故端から「三ヶ月間」なのだろう。

雇用の書類によると契約更新は無しと最初から決まっている。

(一人の人間を長く雇えん事情でもあるんやろうか?この子に何か凄い悪癖でもあるとか…それともこのお屋敷に第三者に知られたくない秘密でも隠されて)

「影片くん?」

「うひゃぁあぁッ!?は、ハイ何でしょう!?」

英智さんが目だけは笑わないまま口元を綻ばせた。

「詮索はほどほどにね」

「っ…あうぅ…」

はいと言えば余計な詮索をしていたことを認めることになる。

気まずいまま「あー、うー」と言っている間に、多忙そうな当主は部屋を出て、おれはプランツと二人きりになっていた。

季節は冬。

立派なお屋敷の窓はすきま風を通さず、おれは一年で一番凍える時期を温かい家の中で過ごせることを素直にありがたく思った。

 

+ + +

 

(―――第一印象ってアテにならんなぁ!)

自分の見る目の無さが情けなかった。

宗さんは喋りこそしないものの好奇心旺盛だった。

特にお話を聞かせると喜んでくれるから、施設時代に血の繋がらない弟や妹たちに読んであげたお伽噺を思い出しながら話した。

毎晩せがまれて絵本を読まされたから記憶に残っている。

意外と警戒心の薄い彼はラグに座ったおれの膝の上に乗ってお伽噺に聞き入っていた。

お話が終わった後に「面白かった?」と尋ねると、彼は満足げに頷いた。

「そっかぁ…良かったわ。何でも役に立つ時が来るものなんやね。おれ手先が不器用やし、人と喋るのも苦手やから、どんなアルバイトをしてもあんまり長続きせんくて…って、こんなこと聞かされても困るよな、ごめんやで」

おれが謝ると、宗さんは心外そうに目を見開いて首を横に振った。

「…許してくれるん?宗さんは優しい子やね」

肉体労働をするには貧相な体格、緻密な作業には不向き、接客は言わずもがな。

何も出来なくて居場所がなかったおれが、期間限定とはいえ好待遇の職を得て生活している。

プランツと遊んで、朝昼夕にはミルクを人肌に温めて飲ませるだけの暮らし。

(んぁぁぁ…めっちゃラクな生活や。どうしよう、これに慣れたらカタギの暮らしに戻れへん…)

窓の外は夕暮れから夜になりかけていて、ガラスの向こうでは一般的な人たちが一般的な暮らしをしている。

三ヶ月経ったらあそこに帰る。

そうしてまた何も出来ず会話も下手なお邪魔虫として、世間の人から小突き回されて日銭を稼ぐのだ。

(…おれの方こそ、お伽噺の世界に入ってしまったみたいやわぁ)

貸与された服も着心地が良く、誰もおれを怒鳴りつけない。

古い絵本の暗唱を喜んで聞いてくれるお人形さんと二人きりの穏やかな世界。

不思議な気分に浸っていると、コンコンとノックの音がした。

「…!」

それが聞こえると、今の今までのんびり屋の猫のように寛いでいた宗さんにピリッとした緊張が走って、彼は俺の背中に隠れる。

ドアが開いて入って来たのは勿論英智さんだ。

この人は仕事が終わるとすぐここにやって来て、宗さんを連れていく。

「ただいま、宗」

「…」

ぎゅう、と俺の背中にしがみつく宗さんの握力が増す。

「いい子にしていた?」

「…」

英智さんは無反応のプランツとの意思疎通を諦めたのか、今度は俺に尋ねた。

「ご苦労さま。宗はどうだった?」

「あ…、ミルクは夕方の分も飲んでます。特に変わったことは何も」

「そう、ならいいんだ」

英智さんがこちらに手を伸ばすと、宗さんがビクッとして身を引く。

それを気にした風でもなく、英智さんは宗さんの腕を掴んで引っ張り、抱き上げた。

お姫様抱っこと言えば聞こえはいいが、おれが連想したのは野犬狩りだった。

棒の先にワイヤーの輪がついたキャッチポールで野良の犬猫を捕まえるやつ。

連れていかれる宗さんと目が合ってつい声が出た。

「あ、あの!」

「…何?」

冷めた声に問われて反射的に委縮した。

「あ、いや…もし良ければおれが寝かしつけましょうか?なんて…」

「それは契約にないよね」

「そうですけど」

「余計なことはしなくていい」

そう言って、宗さんを抱えた英智さんは部屋を出ていった。

(えぇぇ…怖…)

宗さんと一日過ごしても全然疲れないけど、英智さんと一分話すだけでとても消耗する。

人間は苦手だ。

お金持ちや権力のある人間は苦手だ。

そういう人ほど本音を喋ってくれないから。

手の内を明かさない相手のことをあれこれ推測して最適な付き合い方が出来るほどおれは人間が出来ていない。

(宗さんはご主人とうまくいってないんかなぁ。でも、英智さんは毎日こうしてお迎えに来てくれるし、宗さんに変わったことがないかも聞いてくれはるし、よぉ分からんわ)

宗さんが英智さんに懐いているようには見えない。

でも、その気になればあらゆる娯楽に手を出せる身分の英智さんが、夜の七時には必ずここに来てお人形を抱きかかえて自室に戻っていく。

当の宗さんがそれを煙たがるので野犬狩りみたいな雰囲気になるけれど。

(でも宗さんめっちゃ綺麗やしな…?プランツは愛情が不足したら枯れるって聞くけど、初めて見た時からずっと美人さんやし…)

三ヶ月に一度入れ替わる世話係からのミルクと愛情だけで、プランツの命と美しさが賄えるとは思えない。

ということは、あの人なりに宗さんを大切にしているのだろうか?

 

+ + +

 

その日客室に運ばれてきた夕食は、ボリューム満点のエッグインミートローフだった。

食が細いのが悩みだったが、ここに滞在してから間違いなく太った。

(めっちゃ美味しい…いよいよシャバに戻れんくなりそう…)

プランツが主人の部屋に戻ってから再びここにやってくる翌朝までは本当の自由時間だ。

特に趣味らしい趣味はないから、食事の後はシャワーを浴びて眠るだけ。

おれは寝心地のいいベッドに入って丸くなった。

せっかくダブルサイズのベッドなのに小さくなって眠る癖が抜けないのが我ながら惜しい。

 

+ + +

 

朝の宗さんは飛びぬけて美しいと思う。

ちょっと目のやり場に困るくらいに。

朝日が差す窓辺に立った彼は柳眉をひそめて、天祥院の若い当主が自分を置いて出て行ったドアを睨みつけていた。

おれは客室の隅にあるコンロにミルクパンを置いてゆっくりミルクを温めながらその様子を盗み見た。

ここで働き始めて半月近く経つが、未だに二人の関係性を掴めずにいる。

(余計な詮索はするなって英智さんに言われとるけど、宗さんが嫌がってるなら守ってあげたいし、でも…)

とりあえず、おれが世話を任されている時間はこの子に楽しい気持ちでいて欲しい。

お高そうなティーカップに注いだミルクを渡すと、宗さんはそれを受け取って飲み、すっかり木の葉の落ちた庭を眺めた。

「それを飲んだらお庭に行ってみようか?今日はそこまで寒くなさそうやし」

宗さんはおれを見上げて頷いた。

施設にいた頃のノウハウがあるとはいえ、室内遊びのレパートリーは尽きかけていた。

外なら新鮮な気持ちで遊べるだろうと、おれは軽い気持ちで宗さんに外套を着せて庭に出た。

 

+ + +

 

「うぅ~、晴れてはおるけどやっぱり寒かったかなぁ…宗さんは平気?」

あたたかそうな外套に包まれた彼は穏やかに笑っている。

二人で庭を歩いていると、宗さんがしゃがみこんで黄色い星型の落ち葉を拾い上げた。

「わぁ、綺麗やなぁ。お星さまが落っこちとるみたいやわ」

おれが喜んだのに気を良くしたのか、彼は同じ星型の黄色や赤の落ち葉を拾い集めてパッと俺の頭上に放った。

「あはは!凄いなぁ、流れ星の中に立ってるで」

二人で交互に落ち葉を舞い上がらせて遊んだ後、ふと見上げた木の枝に珍しいものを見つけた。

「あっ、ほらあれ!」

最近は減っているというミノムシが二匹仲良く並んで巣に籠っている。

枝からぶらさがったそれを指さして、おれは宗さんを振り返る。

「ミノムシがおる。並んでるのって珍しくて可愛いなぁ」

「…」

宗さんは枝を見上げたまま血の気の引いた顔色をしていた。

小さな震えはすぐに歯の根も合わないほどになり、ガタガタと震えた彼は膝から崩れ落ちて両手で頭を抱えた。

「しゅ、宗さん!?どないしたん!?」

突然の変貌に慌てて彼の傍に座る。

綺麗な唇は何かを訴えるように蠢いていたけれど、プランツが言葉を発することはない。

「ま、待って!電話…!」

プランツに何かあれば真っ先に連絡するようにと渡されたスマホを取りだして英智さんを呼びだした。

数回のコール音の後に、英智さんの声がする。

「もしもし、英智さん!?宗さんが…!」

 

+ + +

 

「…どういうことか説明してくれるかな?」

糸が切れたように気を失った宗さんは、英智さんの私室に連れていかれてしまった。

おそらく今も眠っている。

おれは与えられた客室で英智さんから質問―――というか尋問を受けているところだった。

「ですから本当に、ただ庭を散歩していただけで…落ち葉を投げ合ったりする程度で、激しい運動も変わったこともしてないです」

「それで急に宗が震えて気絶したって言うの?」

「…」

「些細なことでもいいから何があったのか全部教えて」

「えぇっと…ええと……ミノムシが、おって」

口にした途端、英智さんの顔色が変わった。

口を噤みかけたおれに、英智さんが「それで?」と続きを促す。

「宗さんに教えました。ミノムシって最近珍しいし、喜んでくれるかなって…」

「…そう。事情は分かったよ、ありがとう」

まだ根掘り葉掘り聞かれるのかと思ったが、英智さんの質問はそれで終わった。

「僕は明日と明後日は休みをとったよ。宗がこんな状態だから傍にいてあげないと。その間、君は好きにしていいから」

「…クビですか?」

「まさか。君は何も悪いことはしていない。二日間だけの特別休暇だよ」

「でも宗さんが心配です。何も出来んけどおれも傍におったら駄目ですか?」

そう聞くと英智さんは何故か笑いを堪えるような表情を浮かべた。

「気持ちだけ受け取っておくよ」

 

+ + +

 

「…ほへぇ」

丸二日間休みになったおれは、プランツドールを扱う店の前でショーウィンドウの中で眠るプランツに見惚れていた。

今まで店の前を通ったことはあったが、飾られたプランツに興味を持ったことはなかった。

絶対に買えないものは存在しないのと同じだったから。

(…綺麗やな)

幸い、ショーウィンドウのプランツとおれは特に波長が合う仲ではないみたいで、お人形は目を開かない。

目覚めなくて良かった。

プランツが目を覚ましてくれたのにお金がなくて買えないのは辛い。

カラン、とドアベルが鳴ってドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

「ギャッ!?」

眼鏡をかけた店主に声を掛けられて飛び上がった。

おれの貯蓄ではプランツの一体どころか、おそらくオプション品のひとつも買えない。

「いや、あの、買い物やなくて…えっと…」

おれがプランツの店に来たのは理由があった。

初対面の相手にそれをうまく説明できなくてオドオドする。

「あの、あの…プランツって虫が苦手ですか…?」

「はい…?」

 

+ + +

 

「…つまり、貴方様は今とあるお屋敷でプランツのお世話係として働いておられて、虫嫌いのプランツを気絶させてしまったかもしれない、ということでございますね?」

「ハイ、そうです…」

店の中に通され、高そうなお茶まで飲んでしまった。

店主の男の人はさすが話下手な人間の意図を汲み取るのも上手で、たどたどしいおれの説明を一言でまとめてくれた。

「結論から申しますと、確かにプランツにも好き嫌いはございます。ただ、見ただけで気絶することは通常はあり得ないかと。何か他に原因があるのかもしれませんよ」

「そうですか…」

結局、宗さんの気絶については理由が分からず釈然としないままだ。

「そのプランツの外見的特徴はどのようなものでしょう。当店でお取り扱いした商品でしたら何かお力になれるかもしれません」

「えっと、見た目は男の子で…髪はピンク色のショートで、目は青くって…」

店主はそれを聞いただけで首を横に振った。

「残念ながらそれはうちで販売したプランツではありませんね。メンテナンスのために持ち込まれたプランツの中にもそういった子はおりませんでした」

「はへぇ…」

帳簿を見るまでもなく、この人は関わったことのあるプランツのことは全て記憶しているようだった。

適当に喋っているのではないことが雰囲気から分かる。

彼はふと「虫…?」と呟き、少々お待ちくださいと言って店の奥に消えた。

そしてしばらくして戻って来た彼は、付箋の貼られた古い週刊誌をおれの目の前のテーブルに置いた。

「これは?」

「ただの低俗なゴシップ誌です。ほぼ虚構でしょうがプランツドールの記載があったので念のため保管しておりました」

付箋のページを開くと『恐怖!生き人形の呪い!』というおどろおどろしい字体で書かれた見出しが目に飛び込んできた。

「…タイトルセンスが死んどる」

つい漏れた本音に店主が噴き出した。

「その方が売れるんでしょうね」

おれは小さな文字が並ぶ記事に目を通した。

資産家の老夫妻が事業の失敗から首吊り自殺をして、その傍のソファでプランツドールが世にもおぞましい姿で腐り果てていたとか何とか。

「…これホンマなんですか」

「ほぼ虚構でしょうね。プランツは枯れる際に世にもおぞましい姿で腐り果てたりはしませんので」

その店主の言葉にホッとして続きを読み進めて、おれは終盤の一文に目を留めた。

第一発見者の年端のいかない孫がその姿を発見して喜んだという。

じぃじとばぁば、おっきいミノムシになってる。

(宗さんのことや)

記事内では枯れたことにされているこのプランツは、天祥院のお屋敷にいる宗さんのことに違いなかった。

 

+ + +

 

プランツの店を後にしたおれは、今度は図書館に駆け込んだ。

ここには過去十年分の新聞が保管されており、インターネットも使える。

おれは新聞を漁りながら当時のウェブニュースにも目を通した。

あのゴシップ誌が発行された年、とある資産家が海外企業と合同でエネルギー開発事業に着手していたが、資金繰りが難しくなり事業は凍結。

多額の借金が発生し資産家夫妻は自殺。

「…嘘やろ」

その後、海外企業からエネルギー開発事業を買収して利益を生み出したのが天祥院家。

エネルギー開発に必要な施設や大型機材は既に揃っており、濡れ手に粟で富を得た。

新聞にこそ書いていないが、インターネット上には天祥院英智のやり口についての言及が残っている。

元々、天祥院はエネルギー事業の拡大を狙っていた。

だから敢えて以前の事業主が破産するのを待って美味い事業を独占したのではないかと。

それを賢い経営者ととるか非道ととるかは個人によって意見が分かれるようだった。

そもそも素人の推測の域を出ない。

(でも…それじゃあ宗さんは、もしかしたら自分の主人を殺したかもしれない人のところに住んどるってこと?)

 

+ + +

 

その日の夜。

お屋敷に戻って立派なベッドに横たわってもなかなか寝付けなかった。

英智さんに連れていかれることを嫌がる宗さん。

でも翌朝には磨かれたように美しくなっておれの部屋に戻ってくる宗さん。

どうしてミルクも遊び相手も世話係にやらせておいて、着替えと寝かしつけは禁止なのか。

(アカン、なんか考えたら駄目なことばっかり考えてしまう…!)

事情を知っているなら宗さんは英智さんを殺したいほど憎んでいてもおかしくはない。

でも、見た限り英智さんは恋人も作らず仕事が終わるとすぐにお人形を迎えに来る。

そして渋る宗さんも結局はあの人に抱かれて行ってしまうのだ。

その先にあることは知りようもない。

(…プランツドールに必要な『愛』って、どういう類のものでもええんかな)

人肌に温めたミルクと同じような、陽だまりの中で微笑みを交わすような愛でなくてもいいんだろうか。

胸の内に憎しみを飼ったプランツの目を開かせて、命を維持し、美しさに磨きをかける愛を。

毎夜あの人は宗さんに注ぎ込んで、宗さんもそれを受け止めているから朝の宗さんは飛びぬけて綺麗なんじゃないか。

おれはそんな仮説を立てて、いたたまれなくなって枕に顔を埋めた。

(この二日間、英智さんはずっと宗さんの傍におるって言っとったよな…?)

とりあえず明日も一日中留守にしようと決めた。

 

+ + +

 

「心配をかけてすまなかったね。もう宗は大丈夫だから、また今まで通りお世話をお願いするよ」

「は、はい」

特別休暇が終わって、晴れやかな表情の英智さんが宗さんをおれの滞在する客室に送り届けて仕事に向かった。

宗さんは意識を失う前と同じようにおれに懐いてくれた。

おれは今まで通り宗さんにお話を聞かせ、時間通りにぬるいミルクを与え、英智さんの帰りを待った。

帰宅した英智さんに硬い表情を向けた宗さんがおれの背中に隠れても、もう対応に困ることはない。

この子はおれに助けを求めているのではないともう分かっているから。

(…雇用期間は三ヶ月、か)

英智さんが仕事をしている間、誰よりも宗さんと長い時間を一緒に過ごす世話係は、長年屋敷に務める使用人達では駄目なのだろう。

宗さんが英智さんを差し置いて世話係に過剰な愛着を抱かないよう、関係は短期間でリセットされる。

一年で一番寒い三ヶ月を宗さんのお世話をして過ごし、おれの越冬は無事に終わった。

 

+ + +

 

(最っ高や―――!!!)

こつこつ貯めたお金で『愛車』をお迎えしたおれは高揚を抑えきれずに河川敷を走った。

プランツのお世話の仕事が終わった後は再びバイトを転々とした。

多少は体が強くなったのか昔に比べると風邪をひきにくくなったのを感じ、新聞配達のバイトに応募したところ採用。

台風でも配達があるのは大変だが、人に会わなくていいし慣れれば難しいこともない。

チラシの折り込みも最初は手こずったが次第に楽しくなった。

何より運命的な出会いだったのが配達で使うバイクだった。

ゴツゴツして怖そうだと思ったけれど、乗ってみるとこんな楽しいものはない。

あのお屋敷で宗さんと過ごしたまどろみのような三ヶ月を除いて、仕事はいつも陰鬱だった。

話下手で要領が悪いおれはいつも他人に睨まれて肩身が狭い。

それが日常だったのに。

バイクに乗って配達をするようになってから世界はちょっと明るくなった。

早朝の風を切って走るとおれはおれのことを忘れた。

自分の存在を忘れてしまうほど、バイクとおれは波長が合っていた。

社員になると家賃が手当で支給されるようになって、住むところの心配が要らなくなった。

衣食住が安定すると気持ちに余裕が出て、生まれて初めて贅沢品が欲しくなった。

おれは迷いに迷った結果、スタンダードなネイキッドモデルのバイクを買った。

ネイキッドの魅力の一つはメンテナンスのしやすさだ。

ずっと傍にいて欲しいから何より手入れのしやすさを重視して選んだ。

おれにとって人生初の嗜好品であり相棒であり替えのきかない愛車。

横目に見える川の水面がバイクの速度に合わせてピカピカと輝いて、影を拭い去るような眩しい光に見惚れた。

 

+ + +

 

「あっ、テレビに英智様が出てる!」

人並みに暮らせるようになった数年後、職場の仲間の紹介で出来た彼女と籍を入れた。

二人で働いてそこそこのアパートで暮らすと、生活には余裕すら生まれた。

何より大きな収穫は明るい気性の嫁さんが傍にいてくれることだった。

おれがちょっとズレたことを言っても屈託なく笑ってくれる。

それは地球はおれのふるさとじゃないと考えていたおれをちょっとずつ救ってくれて、おれは故郷からの迎えを待つことを忘れた。

嫁さんは可愛い。

ただちょっとミーハーだった。

有名な経済人としてよくテレビに出るようになった英智さんに熱を上げるくらいには。

「最近は若い子向けのファッション誌にまで載ってるらしいよ。イケメンだもんねぇ」

「…ふーん」

例えそれがアイドルを推すようなノリであっても、嫁が他の男に夢中になるのを見ているのは楽しくない。

彼女は拗ねた俺の声を聞いてすぐに振り返り「でもみかちゃんが一番好きよ」と付け加えた。

「ホンマに?」

「本当よ。だって英智様って性格は悪そうじゃない。テレビ越しに顔を見るのはいいけど実際会いたくはないわ」

「そ、そうなんや?女の人って現実的やね」

英智さんへの評価はおれもそんな感じなので女性の勘は侮れない。

「そうよ、それに胡散臭いでしょ。こんなに格好良くてお金持ちで独身なのに浮いた話の一つもないなんて。事情があって結婚しないだけで美人の彼女がいるか、裏では女遊びをしていたりするのよ、絶対」

(…確かに何年経ってもかっこいい人やなぁ)

流れる金の髪も、どこか憂いのある暗い水色の瞳も変わっていない。

さすがに顔立ちや肌はあの頃より年齢を感じさせるが、落ち着いたたたずまいの中にも華があって、テレビというメディアがこぞって彼を出したがるのも理解出来た。

「そうやね、恋人はおるやろな」

おれの同意を得た嫁さんが「でしょう?」と満足そうに微笑む。

彼女は清々しいくらい英智さんの顔だけが好きだった。

(…まぁ、結婚は無理やもんな)

いかな彼が権力者でも人間でない存在と籍を入れるのは不可能だ。

仕事を終えた彼の傍には今もあの美しいプランツドールが寄り添っているに違いない。

end.